ふしぎブログ

ムニャムニャ

すみっコ2の感想!!

『映画すみっコぐらし青い月夜のまほうのコ』を観に行った。第一弾の『映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ』(2019)を観て感動してドハマりした私は、前から絶対に観たいと思っていた。1をいっしょに観て感動した友達も含めて4人で観に行った。

映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ

すみっコぐらしのキャラクターは、油っぽいからと残されてしまったとんかつのはしっこの「とんかつ」や、ミルクティーだけ先に飲まれて残されてしまった「たぴおか」など、可愛いけどちょっと可哀想なキャラクターが出てくる。「とかげ」のように本当はきょうりゅうの生き残りなので隠れて生きているキャラクターや「ぺんぎん?」のように自分がぺんぎんなのか何なのかわからなくなっているキャラクターもいる。みんなすみっこでしか生きられないのだが一生懸命なので観ている方は涙がとまらない。

 

語ってると朝になっちゃうので公式のキャラクターURL貼っておきます。ほかにもこんなすみっコが.....↓

https://sumikkogurashi-movie.com/character

 

ここから先ネタバレあります

 

 

 

 

『映画すみっコぐらし青い月夜のまほうのコ』はすごく良い映画だった。前作もとても良かったけれど、今作は青い月夜のキラキラしたファンシーな絵柄もすごく良かったし、魔法使いのかわいい兄弟たちが出てくる世界観も素晴らしかった。

実は映画が始まってわりと早めの段階で(魔法使いのふぁいぶはみんなの夢を消してしまうかもしれない)と思ってしまった。映画を観はじめると、次はこうなるのかな?という予想が浮かんでくることはみんなあると思うけど、私にいたっては『ボヘミアン・ラプソディ』という大ヒット映画で、次に予想されるシーンをほとんどすべて的中させて映画が全然楽しめなかったというプチトラウマがある。

そういうわけでふぁいぶが夢を魔法で消してしまったシーンはやっぱり夢を消してしまったなぁと思った。でも見ているうちにふぁいぶの魔法はじわじわ重く心にのしかかってきた。

すみっコたちの夢は呪いみたいなもので、特にざっそうの夢「いつかお花屋さんのブーケになりたい」はそうそう叶わないと思う。お花屋さんにはお花しか売ってないし「ブーケ」はフランス語で「花束」の意味らしいからざっそうでは無理だ。

だからといって周りにいるすみっコたちは「そんな夢持つのやめなよ」とかは言ってこないし、それがこの映画のあたたかいところだと思う。現実世界には触れてほしくない他人の事情に触れる人はたくさんいて、それを必要以上に気にして病んでしまう人もいる。すみっコぐらしの世界観にはそんな野暮なことを言うキャラはいない。すみっコたちの夢を消してしまったふぁいぶはすごい後悔をするが、周りのみんなで夢を取り戻せるようあれこれ手を尽くして、その結果すみっコたちは忘れてしまった夢を自力で取り戻していく。

とんかつの夢はいつか誰かに食べてもらうことで、夢を失ったとんかつは三角コーナーをかぶり自らを生ごみだと言って仲良しのえびふらいのしっぽを泣かせていた。えびふらいのしっぽも誰かに食べてもらえることが夢なのでとんかつとは心通じ合っていて、とんかつが夢を取り戻すべくソースをかけたり丼になったりするのを手伝ってあげていた。とんかつの夢はこうやってえびふらいのしっぽに応援されて手伝ってもらってさらに輝いていた。とんかつとえびふらいのしっぽの友情、情熱に涙がとまらなかった。

夢を消せばみんなが幸せになると思ったふぁいぶの気持ちも理解できるが、夢を消された彼らは夢を追いかけていた頃よりも幸せとは言い難かった。

スリムなフォルムになる夢を持ったねこはふぁいぶに夢を消されて体型を気にせずひたすらぱくぱく食べ物を食べていて太り続けていた。ぺんぎん?は本当の自分を見つける夢を失って謎の自信に溢れていたが皿が割れただけで動揺する程度の自信に過ぎなかった。夢を追いかけては叶わないところもまたすみっコらしさだと気付かされた。

すみっこはパラダイス

子供の頃「将来の夢は?」と聞かれて、私はその質問をされることがすごく苦手だった。たとえばそこで「看護師」と答えたら、小学生だったら頑張ってね、と大人は言うのだろうけれど、これが高校生だったら専門学校や大学進学に向けて対策をするように言うだろう。夢は大人になると具体的にどうしたらいいのかを実行することになる。

この間の健診で、看護師を苦労させてきた私の細い血管の血液を上手に採ってくれた看護師さんも、子供の頃の夢は看護師だったのだろうか。夢を叶えたあとは採血の腕を磨いて採りにくい患者の血液を採り続けて、病院からも患者からも重宝されているはずだ。そういうふうに人の役に立っている人は具体的な夢を掲げ続けてきた人なんだろうなと思う。

大人になると夢はどんどん具体的になっていく。資格を取ろうとか、求人情報を見て応募しようとか、飲みに行こうって誘おうとか、帰りにぶどうを買おうとか。

いつの間にか夢はキラキラしたものではなくなって実現可能な目標の束みたいになっていく。叶わない夢を持ち続けても無意味なことが分かってきて、失った夢は自分の心のなかで消えてしまう。

でも『映画すみっコぐらし青い月夜のまほうのコ』では、叶わない夢を持つことも肯定されていた。すみっコたちの夢は魔法使いたちが乗ってくる満月の日の夜の船のように光り輝いていた。ざっそうの夢もいつか叶うような気がした。

お母さんに会いたいというとかげの夢だけはみんなの協力もあって叶えられていた。それでも会えたのはほんのわずかな時間だった。少しだけでも会えて本当に良かった。

私の推しのざっそうはエンドロールでクリスマスツリーの格好を楽しそうにしていた。叶わない夢であっても肯定し続けていればこんなに楽しそうにクリスマスツリーにもなれるのだ。どんな夢でも肯定することの尊さを、この作品を通して知ったような気がした。