ふしぎブログ

ウーン ムニャムニャ

二つの場面ーーバイオリン弾きとベルイマン

ぼくらが
電車通りを駆け抜けると
巻きおこる
たつまきで街はぐらぐら
おしゃれな風は花びらひらひら
陽炎の街
まるで花ばたけ

(はっぴいえんど「花いちもんめ」)

 


ここのところ、小学校時代に読んだある本の場面が、何度も頭をよぎっている。しかし書名がどうしても思い出せないので困っている。妻子持ちの貧しいバイオリン弾きの男が出てきて、軍歌を弾けばすこしは金になる、と言われるも、「僕のバイオリンで軍歌は弾きたくない」と拒むのだ。妻も夫の気持ちを察してそれ以上何も言わない。しかし家計が切迫したために、彼は仕方なくバイオリンで軍歌を弾くことにする。街の広場で彼は軍歌を弾きはじめるが、途中で諦めて、やがて美しい外国の曲を奏でていく。その場面だけが、最近、妙に頭から離れない。どうしたものか。

小学校にあがって間もない頃から、私はすこし難しい本を好んで読んでいた。ほかの子が絵本を読むなかで、一人だけ活字本を読んでいた。と言ってもちゃんと読めていた訳ではなく、文字を目で追っているだけに過ぎなかったのだが。しかしそれでも本を読むという行為には特別な愛着があった。のちに大学で芸術を専攻して学ぶことになるのも、おそらくそこに由来があったのだろうと思う。最初から最後まで理解して本を読まなくても、ひとつでも心に留まったものが見つかればそれでいいという、わりにいい加減な読書方法もそこで身につけてしまった。でも、まあ、好きに読むのがいちばん良い読書法なんじゃないかとも思う。

大学時代も暇さえあれば図書館にいた。適当に本を探し、読んでいる中で印象に残った文章をノートに書き写した。そして閉館時間まで時間があれば視聴覚コーナーで映画を観ることにしていた。そういうことばかりしていたのでこんな人間になってしまった。それは本当に仕方なかったと思っている。

大学を卒業してから二か月以上経ったが、学生時代が終わっても、毎日が発見の連続である。つい先日も私は発見をした。たまたま知り合ったごく普通のサラリーマン風の人が、美しい詩を書いていたのだ。こういうことを発見と呼んでいれば、自分はまだ生きていけるような気がしている。

私が俗に言う詩の心を得たのは、おそらく後天的なものであると思う。幼い頃から詩を書き続けてきた訳ではなく、時が来て自然に書けるようになった。高校二年生のときに、室生犀星を読んで詩の心に出会ったことは記憶しているが、もっと前からその心はあったのかもしれない。それから大学に行って詩人の先生のゼミに通って、初めて自分の中で作品と呼べる詩を書けるようになった。しかし実のところ、もともと自分のなかに生まれつきその心があったのか、それとも後天的なものなのかは自分でもわかっていない。しかし自分にとって、生涯詩は特別なものだと感じている。

今、私は大学という小さな枠の中から出て、ずいぶん戸惑っている。学生時代に見ていた景色とはだいぶ違った景色が広がっている。幸いにも人の優しさに救われて、なんとか四月を迎え、五月を迎え、六月を迎えられた。ここのところの出来事については、いつか何らかの機会に文章か何かにしてみたい気もするが、永遠にそれは発表できないで終わってしまいそうだ。それくらい大切に思える日々だった。

冒頭でバイオリン弾きの出てくる場面について書いたが、もうひとつ、最近特に思い出す映画の場面がある。それについて書いて、この記事を終わりにしたい。
スウェーデンの映画監督、イングマール・ベルイマンの『魔術師』という映画に、老婆と若い娘が椅子に座って話をしている場面がある。老婆は若い娘に優しい口調で語りかけている。そこでは、老婆の眼も、老婆の口ぶりも、老婆のジェスチャーも、すべてが優しさでできている。見た感じの印象だが、娘と老婆には五十歳ほどの年齢の差があった。しかしここでいう年齢の差とは、単に時間の差ではなく、魂の年齢の差のように私には感じられた。人間のうちにある神的な霊魂を、ベルイマンは確かに捉えたのだろう。

最近、本当に人に優しくしてもらった。いったい、どうしたらあの優しさを返すことができるのだろう。なんだか、しばらくそれを探すことになりそう。

 

 

風街ろまん

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